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佚斎樗山という人の著した『猫の妙術』という剣道指南書があります。
猫というのは肉球で音もなく獲物に近づいて仕留める肉食獣のハンターです。
剣道と猫ということで、どのような書物をみなさんは連想するでしょうか?
私は完全に剣術の秘伝を猫の動作から学ぶ書だと思いました。
「ハンターである猫の静かな足の運びと、獲物をしとめるときのしなやかなダッシュ力を剣術に活かせ」と説いた剣技の書を想像していました。
しかし読んでみたら、禅にも通じる人生指南の書だったのです。
ところで私はマラソンの技術書(『市民ランナーという走り方(グランドスラム養成講座)』)を執筆しています。
しかし私が書きたいことも実はマラソンの技術そのものではありません。佚斎樗山の著作のように、人生に通じる何かがなければ無意味だとすら考えているのです。
人生にはゴールが必要です。
ゴールのない人生に、私たちは耐えられません。
そしてそのゴールは自分でつくるものなのです。
【この記事を書いている人】
瞑想ランニング(地球二周目)をしながら心に浮かんできたコラムをブログに書き綴っているランナー・ブロガーのサンダルマン・ハルトと申します。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。
ランニング雑誌『ランナーズ』の元執筆者。初マラソンのホノルル4時間12分から防府読売2時間58分(グロス)まで、知恵と工夫で1時間15分もタイム短縮した頭脳派のランナー。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。地元走友会のリーダー。月間走行距離MAX600km。『市民ランナーという生き方(グランドスラム養成講座)』を展開しています。言葉の力で、あなたの走り方を劇的に変えてみせます。
また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。
そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。江戸川左岸の撃墜王(自称)。スピードが目的、スピードがすべてのスピード狂。ロードバイクって凄いぜ!!
山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。
その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。タイ。ベトナム。カンボジア。マレーシア。シンガポール。インドネシア。ニュージーランド。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の28ケ国。パリとニューカレドニア、ホノルルとラスベガスを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。ソウル日本人学校出身の元帰国子女。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。
登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。
千葉県在住。夢の移住先はもう決まっています!!
※この稿の内容は以下のとおりです。
心をひらいて自由になれ。自由こそが融通無碍への道
『猫の妙術』そこにはこんなことが書いてありました。
技術に頼るものは、自分より技術のある者の前では無力です。
力に頼るものは自分より力のあるものに対して無力です。
ほかの「何か」がないと、技術や力が上のものには勝てません。
相手次第で無力になってしまうような心の持ち方では駄目なのです。
天地に心をひらいて、自然体になって、相手に応じて臨機応変に対処するべきなのです。
「自由になれ」ということです。
自由こそが融通無碍への道です。
心が平静であれば臨機応変に状況に応じて体が動くのです。
意訳ですが、そういうことが書いてあります。
剣術書というよりは「人生の悟りの書」でした。
文章で言うならば「さらさらと引っかかるところなく腑に落ちる文章こそ名文」だという意味だと思います。
難解で何度も止まってしまうような文章は決して名文ではないのです。
アスリート血尿といえば、マラソンランナーか剣道者
私はただの市民ランナーです。しかしランニングにハマってしまい「走るために生きている」という時代が確かにありました。
走るために生きていた時代、血の小便が出たことがあります。
最初に血尿が出たときには焦りました。
走りすぎてとうとう体が壊れたのかと思いました。
医者に行く前にたくさんのサイトを調べました。
血尿とは何か? どうして血の小便が出るのか?
アスリートと血尿の関係を調べていくと、やたらと剣道のサイトと出会ったのです。
剣道で、気合いの一撃を踏み込んだ時、足底で赤血球が踏み壊されて、血尿が出るのだそうです。壊れた赤血球のヘモグロビンが尿に出るため、このタイプの血尿をヘモグロビン尿というそうです。

それに対してマラソンランナーの血尿は、ランニングの上下運動で腎臓が上下することによって内部の毛細血管が切れて、それが尿として出るのが主たる原因です。
走るときは腹筋で内臓の揺れを最小限に抑えています。
しかし数時間にわたるマラソン競技では腹筋も疲れ果てて緩み、いつしか内臓が揺れてしまうのです。
小さな振動も数時間も続くと『水滴、石を穿つ』効果でいつしか毛細血管が破れてしまうのです。
これをアスリート血尿といいます。
ネット上でアスリート血尿で悩んでいる人といえば剣道者かマラソンランナーでした。
その頃から同じ血尿仲間として私は剣道には親しみを持っていたのです。
精神性があってはじめて修行の意味が生きてくる
江戸時代に書かれた剣術書『猫の妙術』が今でも読まれているのは、それが精神面を説いた人生の指南書となっているからです。
人生訓にまでなっているから今でも読む人がいるのです。
これが剣技の技術解説だけの本だったら現代ではもう無用の長物として顧みられなかったかもしれません。
原爆の時代に剣の奥義を説かれても空しいからです。
そこに精神性があってはじめて修行の意味が生きてくるからです。
これはマラソンの世界でも同じことではないでしょうか。
ロードバイクや自動車が行きかうこの世界で、時速20km(キロ3分)の世界を極めることにどれほどの意味があるのか?
私の『サブスリー養成講座』にどれほどの意味があるのか?
そこに精神性がなく、ただ走る技術だけを解説したものだったとするならば。
人間が剣を捨てることがあっても、走ることを捨てることはないだろうと思います。
動物としてのベースの「動き」そのものに、精神性なんてものがあるのか?
もちろんあると私は思っています。
ゴール地点で勝つために、力を加減しながら走る
マラソンをうまく走り切るためには「全力で走らない技術」が必要となってきます。筋力を温存し、使い切らない自制が必要なのです。
全力で走るのは簡単なことです。子供でもできます。
問題は自制しながら走れるかどうか、です。ゴールを見据えて力を加減しながら走ること、これは簡単ではありません。
マラソンレースの最中に、集団が自分を追い抜いていくのをそのまま見逃がすことができますか?
この瞬間、本気を出せばついていくことも抜くこともできる集団に対して、ゴールを見据えて、自制することができますか?
これはなかなか難しいことです。子どもにはできません。
ゴールを見据えて力を温存することがどれほど大切か、100kmウルトラマラソンに出場すれば、よくわかります。
フルマラソンのベストタイムが2時間30分ぐらいの怪物に、どうしてウルトラマラソンなら走り勝つことができるのか?
それはスピードスターの怪物くんが若さと勢いで目いっぱい走ったのに対して、私が力を抜いてふんわりと走ったからです。
怪物くんが自滅して走れなくなったためです。
それが勝因です。偶然ではありません。こちらに自制心があったためなのです。
この瞬間、勝てる相手に対して、どうして抜き去らないのか? どうして自制して先に行かせるのか?
それはゴール地点で勝つためです。
そのために途中で負けていることをよしとしなければならないとしたら、大人の精神力が必要ではないでしょうか?
この瞬間、スピード勝負で抜ける相手を、先に行かせることは、先を見通す能力が必要になる。
負けて、負けて、何度も負けて、一瞬のスピード勝負を制しても、結局はゴールまでスピードを維持できず、最後には自分最高のパフォーマンスを発揮できないのだと心底から悟るまでは、自分より遅いランナーを先に行かせようという気にはなれません。
はじめから負けるようなレースは誰も考えていません。
しかし失敗して、失敗して、何度も失敗して、現実を思い知れば考えが変わります。
目の前のライバルに勝っても、他の人に負けるようなレースでは意味がありません。
自己ベストのパフォーマンスをするためには、ゴールを見据えた自制が必要なのです。
私のマラソン人生論。人生にもゴールが必要だ
自制するのはゴールがあるからです。ゴールを見据えて力を加減しているのです。
ゴールがなければ、自制はただ手を抜いているのと変わりありません。
全力を出し切るためには、ゴールが必要です。
自分なりのゴールを決めることが必要なのです。
ゴールがないならば、レースの過程で集団を先に行かせた意味はありません。
最高の自分でゴールする気持ちがないならば、だらだら手を抜いているだけってことになります。
幸いにして私が取り組んできたマラソンにはゴールがあります。
42.195km先にゴールがあることがはじめからわかっていました。
スポーツはたいていゴール(制限時間など)が決まっています。
では人生はどうでしょうか?
あなたの人生のゴールはありますか?
あなたはスポーツに熱中するほど真剣に、人生に取り組んでいるでしょうか?
ほとんどの人は、リアルな人生に、スポーツほど生き甲斐を感じられないのではないかと思います。
リアルな人生が、スポーツほど熱中できないのは、ゴールが見えないことが一因ではないでしょうか。
ゴールがないから「その日暮らし」の生き方になってしまうのではないでしょうか。
そして突然訪れる「死」にうろたえてしまうのだと思います。
このリアルな人生が、いつ、どの場所で、どのようにして死ぬのか、わかっていれば、それがゴールになるのですが、それは誰にもわかりません。
だからこそ、自分でゴールをつくる必要があるのです。
マラソンがそうであるように、人生でもゴールを決めることが重要だと思います。
ゴールがなければ走れません。
イーブンペースの魔法は、ゴールがあってこそ発揮できるものです。
ゴールがなければ戦略の立てようがありません。
あなたの人生にゴールは決まっていますか?
人生のゴールは死の瞬間だけとは限りません。
もちろんそこが最終的なゴールですが、途中で、いくつでもゴールを区切ることが可能です。
×歳までに、という自分設定のゴールをいくつもつくってしまうのです。
ゴールがなければ、努力の成果の検証のしようがありません。
人生は、小さなゴールを積み重ねるといいのではないかと思います。
いずれにしても、人生にはゴールが必要です。
ゴールのない人生に、私たちは耐えられません。
そしてそのゴールは自分でつくるものなのです。
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