みなさん。おはようございます。ハルトです。
ここでは放浪の旅人が旅先でするウェイクアップランニングについて語っています。
旅先のウェイクアップランニングは人生最大のよろこびのひとつです。
知らない街、知らない人たちの中、知らない場所を走る時ほど、人生が充実しているときは他にありません。
※雑誌『ランナーズ』のライターにして、市民ランナーの三冠王グランドスラムの達成者の筆者が走魂を込めた書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
言葉の力で速く走れるようになる、というのが本書の特徴です。言葉のイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。
踵着地とフォアフット着地、ピッチ走法とストライド走法、どちらが正解か? 本書では明確に答えています。あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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清渓川ウェイクアップ・ランニング
腕時計の目覚ましが鳴った。ここは韓国ソウルの安宿である。
「起きて走ろう」
身体は少し疲れていた。時差はないが、観光の疲れはあった。昨日も一日中歩き通していた。
それでも起きて走ろうと思う。
なぜならそれが私の人生における最大の楽しみのひとつであるからだ。
知らない街、知らない人たちの中、知らない場所を走る時ほど、人生が充実しているときは他にないと思う。
バルセロナの海辺や、ミラノ大聖堂の前をモーニングランしたことは、いつまでも忘れない思い出になっている。自分がどこにでも行ける自由を持っていると、朝ランほど感じることはない。
人生は冒険に満ち満ちていると、外国を朝ランするときほど感じることはない。
自宅ではこんなに早起きすることはない。それでも無理して起きてランニングのできる格好に着替え、寒い外へと飛び出していく。
走れば帰ってきた頃には気分爽快になっている。そのことを経験から僕は知っている。
朝ランのことを僕はウェイクアップランニングと呼んでいる。
厳密には、夜に走っても覚醒のためのランニングはウェイクアップランニングと呼んでいる。
朝ランは常にウェイクアップランニングと同義だ。

走りに行くのは、そう「清渓川」である。
いい名前の川だ。
日本にも同じ名前の川がありそうだが、グーグル検索しても出てこないから「ありそうでない」のかもしれない。もしあったとしても検索上位にヒットすることはないであろう。勝つも負けるもライバル次第なのである。ちなみに彼女の本名はチョンゲチョンであるが、私たちはセイケイガワと呼んでいる。『ハングル』という記事で紹介した通りだ。
アジアの街は走るのに適さないところが多い。
道路は車のことばかり考えて、歩行者は二の次という設計思想の街がアジアには多い。
ソウルも信号が多くてあまり快適に走れる街ではないのだが、清渓川は別である。
まだ早朝、吐く息は白い。
すこしぐらい積もっていてもトレイルランニングシューズを履いているので大丈夫なはずである。
静かな川岸の道路を走る。早朝だったせいか、誰もいない。
ランナーも、歩行者さえも。
清渓川をひとり占めである。
大都会ソウルのちいさなかわいらしい川をひとり占めできたのも韓国の神様の僕へのご褒美であろうか。
川の水は見た目透き通っていてきれいである。昨夜の雪が溶けているのかもしれない。
旅先では時差や旅行疲れで朝が辛いこともある。
それでも無理やり起きてちょっと走ると気分も晴れて活力に溢れてくるのだがら、走るとは不思議なものだ。一日の活力の源といっても過言ではない。

朝ランとかモーニングランと呼ばずウェイクアップランニングと僕が呼んでいるのは、目を覚ますことが最大の目的だからである。
身体と脳を目覚めさせて旅先に体を慣らすのが目的だ。
速く走ることが目的ではない。トレーニングではない。
だから『サブスリー養成講座』で語ってきた速く走るためのテクニックはすべて忘れてのんびり走る。
だいいち旅先では走るのには適さないシューズであることがほとんどだ。
暑い国ではサンダルだし、寒い国ではトレランシューズを履いていることがほとんどだ。
それでも走る。サンダルだって走れるのだ。

旅先でのウェイクアップランニングでは、思い出をつくることも目的のひとつだ。
だから顔をあげて周囲をよく見るようにしている。
それにしても誰もいない。清渓川には信号ひとつない。
ところどころに川を渡る飛び石があり、対岸に渡って気分を変えることもできる。
こんなに走りやすい、いい場所なのに、ランナーが全然いないことに僕は心から驚いた。
これがセーヌ川だったらマラソン大会やっているのかと思うほどランナーが溢れ返っているはずである。
つくづくランニングというのは白人文化なのだなあ、と思う。世界中どこへ行っても走っているのは白人ばかりだ。東洋人は僕だけということがよくある。
若い頃にはアジア人を代表して強そうな白人ランナーに草レースを挑んで思い出づくり&スピード練習をしたりしたものだが、清渓川ではひとりもランナーに出会わなかった。

そんなときは走りながら思索にふけってしまう。
幼い頃の思い出。ソウル日本人学校のこと。韓国のこと。
『バックパッカーの生き方。唐辛子実存主義』についても走りながら考えたことだ。
今、ソウルで4年間暮らせと言われたら存分に楽しんで暮らせるのになあ。
この清渓川を毎日走るのに。
そんなことを考えながら走っていたらなんと川の突端に着いてしまった。
清渓川は途中から暗渠化されているのである。
ソウルの西の上流側に人口の瀧がある。そこが清渓川のどん詰まりだ。
そこから先は地下川であり行くことはできない。
走り足りないので折り返すことにした。気分を変えるために飛び石で対岸に渡り、東大門方面に向かって走る。
四万十川にあるような沈下橋があった。ウルトラマラソンを思い出す。
走ることで脳内モルヒネがつくりだされる。
もう僕には自分なりのレベルで日の丸を背負って韓国のサブスリーランナー達に走り勝つだけの力はないかもしれない。
川内優輝が自己ベストを出したソウル国際マラソンを走ってみたかった。
東大門を越えてしばらく走ると舗装道路がなくなった。
この先、清渓川は漢江ハンガンに合流している。
幼い頃、僕は漢江ハンガンのほとりに住んでいた。もしかしたら人生で江戸川の次に眺めている川は漢江かもしれない。トムハルバンの爺さんにおはようの挨拶をして僕は安宿に戻ることにした。
ハルト「走ってきた! ああ気持ちいい! 早起きしてよかったよ」
イロハ「眠ーい。むにゃむにゃ。どこ走ってきたの?」
全身に血が巡り、目が覚めた。
知らない場所を走ることで、冒険が心を覚醒させる。
ハイな気分で安宿に戻ったら、イロハはまだ部屋で眠っていた(笑)。
いつも僕の方がイロハよりも旅のイベントがひとつだけ多い。
それはこの朝のウェイクアップランニングである。
朝のこの時間が一日の中で最も楽しいこともある。イロハには内緒だけれども。
※雑誌『ランナーズ』のライターにして、市民ランナーの三冠王グランドスラムの達成者の筆者が走魂を込めた書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
言葉の力で速く走れるようになる、というのが本書の特徴です。言葉のイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。
踵着地とフォアフット着地、ピッチ走法とストライド走法、どちらが正解か? 本書では明確に答えています。あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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