『サブスリーの難易度』(ランニングの技術まとめ)

マラソン・ランニング
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心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

※このブログの筆者の書籍です。Amazon、楽天koboで発売中。

※言葉のイメージ喚起力で速く走る新メソッドを提唱しています。 

このページは、私アリクラハルトの『サブスリー養成講座』のまとめサイトです。改めてマラソン・サブスリーの難易度について考えてみたいと思います。

それぞれのサイトにリンクが貼ってありますので、気になる言葉があったら、そちらのサイトに飛んで読んでいただきたいと思っています。

また書籍化してまとめていますので、プロフィール等からご確認ください。

ここにある「言葉」は、あと数秒削り出すためのただのきっかけです。

言葉に触発されて、あなたの走り方やモチベーションが劇的に改善し、夢のサブスリーを突破されることを心から祈っています。

※このブログの「難易度」系記事

『サブスリーの難易度』(ランニングの技術まとめ)

市民ランナーの三冠王・グランドスラムの難易度

24時間テレビチャリティーマラソン(トライアスロン)の難易度

日本百名山、全山登頂の難易度(百名山ハンターになる難しさ)

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サブスリー関門突破ゲームはどれほど難しいのか

フルマラソン42.195kmを2時間台で走り切ることをサブスリー(sub-three。sub3)といいます。

3は、3時間の3(three)です。sub は、~の下、という意味の英語の接頭語です。

subwayは道(way)の下(sub)だから地下鉄。submarineは海(marine)の下(sub)だから潜水艦という意味です。

サブスリーは市民ランナーの勲章とされています。

かつて私は『サブスリーのためならドーピングも辞さず。ゴールして倒れてもいい』と思いつめて、この『関門突破ゲーム』に熱中していました。

ほとんど走るために生きているといってもいい時代は、この「サブスリー突破ゲーム」が最大の走るモチベーションとなっていました。

いやあ、本当に楽しかった!

デートの約束も後回しにして、しょっちゅう奥多摩のトレイルで修行ランニングをしていました。すべてはサブスリーのために。

ではこの『関門突破ゲーム』は、どれぐらい難しいのでしょうか。

統計によるとサブスリーランナーは市民マラソン大会の上位3~4%とされています。

しかしもともと足に自信がある人や走るのが大好きな人がエントリーしているのが市民マラソン大会です。

全人類から見ると、サブスリーランナーはどれぐらい上位に位置するのでしょうか。

日本のマラソン大会の中で、最もお祭り色が強く、最も一般市民がエントリーしているのが東京マラソンです。

その東京マラソンですとサブスリーランナーは上位1%ぐらいになります。

サブスリーランナーというのは、『そこらへんの一般市民100人がマラソンを走ったら、トップでゴールできる人』ぐらいのイメージでいいのではないかと思います。

まあなかなかの難易度なのではないでしょうか?

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小中学校で学校で一番速かった子が、血尿がでるまで練習したらどこまで行けるのか?

中学時代、長距離走と言えばせいぜい1500mでした。

私の中学校では体育の授業で1500m走のタイムを計られて、そのトップ5が校内の掲示板に貼りだされていました。本稿の執筆者アリクラハルトは、中学時代は、長距離走を走れば、学校中でいちばん速かったです。

小学校時代も長距離走は学校中で一番速かったです。走れば褒められる子でした。

長距離走の才能あるなしでいうならば、明らかに才能がある方でしょう。小中と学校一でしたから、いちおうそう言っておきます。

そんな人間が、月間600km走り、血尿がでるまで練習して、ゴールしたら倒れる覚悟で走って、やっと達成できたのがサブスリーでした。決して簡単なゲームではありませんでした。

しかし難しいからこそやりがいがあります。

ゲームというのは、あまり簡単すぎると面白くないものです。一度も迷うことも全滅することなく簡単にクリアできてしまうRPGが面白くないのと同じことです。

敵ボスに全滅させられ絶叫したり、リセットボタンを押したくなったり、憎らしくて夢にまで見て眠れないぐらいで、はじめて面白いゲームだったと言えるのではないでしょうか。熱中できないゲームに価値なんかありません。

「今のレベルでも、もっと効率的に戦えば、敵ボスを倒せるのではないか?」

ラスボスを研究したり、戦い方を模索したりすることで、関門突破ゲームの世界は一気に奥深くなります。

とくに私の場合は、3時間0分✖秒というのを2年連続で経験しています。あと数秒でサブスリーだったのです。しかも2年連続で。このときの悔しさといったらありませんでした。

だからこそ秒単位での勝負にこだわったのです。走法の工夫であと数秒削り出してやろうと思いました。

私にとってマラソンレースは受験によく似ています。本気の勝負レースは年に一度、一年後であり、このままサブスリーランナーになれないままで生涯を終えるのかという不安と闘いながらの二年間でした。

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カラダで無理ならアタマで、フィジカルで無理ならメンタルで、関門突破ゲームをクリアする覚悟

二年間の間に考えられることは考え尽くしました。

あとわずか数秒縮めるだけでいいのです。わずか数秒縮めれば私はサブスリーランナーです。

カラダで無理ならアタマで、フィジカルで無理ならメンタルで、この関門突破ゲームをクリアしてやろうと思っていました。

脚力ではなく脳ミソでサブスリーを達成してやろうと決意したのです。

フォームについては死ぬほど研究しました。

それがこのブログで公開しているサブスリーフォームです。

効率的に速く走れるための方法であり、それを公開したものが本稿「ハルトのサブスリー養成講座」なのです。

アトムのジェット走法』も、『カカト落としを効果的に決める走法』も、本気のサブスリー挑戦の中から生まれてきたマラソン理論です。『動的バランス走法』も『骨格走法』も『ヘルメスの靴』も『ハサミは両方に開かれる走法』も『ヤジロベエ走法』も、あと数秒を削りだすための極意のようなものです。

究極の走法『ハサミは両方に開かれる・ヤジロベエ走法』という走法は、地面という重たい抵抗を押しのけるように軸脚(支持脚)を後ろに送るよりも、スカスカの空気を切り裂いて自由に動ける遊脚(振りあげた方の脚)を前に送った方が効率的だろうという理屈です。

地面からの抵抗とは「足をその場に留めようとする」負荷・抵抗ですから、その負荷に逆らって支持脚を後ろに送るよりも、軽い空気抵抗しかない遊脚を前に送る方が、楽に前に進めるということがわかるでしょうか。

ハサミは両方に開かれる』ので、後ろに脚を蹴らなくても、遊脚をグイっと前に出すだけで、結果として蹴ったようなフォームになるので心配はいらないのです。

オリンピッククラスのエリートランナーのマラソン中継からも多くを学びました。

なかでも川内優輝選手よりも自分の方がピッチが多いと知った時には衝撃でした。

そこから私は市民ランナーに足りないものはピッチではなくストライドだと確信を持つようになります。

サブスリー達成のためには『ピッチ走法よりもストライド走法。ダメージなんか度外視して走れ走れ』ということになります。本番レース中、私は『ジャンプしない走りなんて走りじゃない』と私は何度も自分に叫んでいます。

エリートランナーは老いてストライドが維持できなくなって引退するのです。ピッチは命のリズム感でありそう易々と衰えるものではありません。

プロの陸上コーチがピッチ走法を推奨するのは、もともと彼らが指導するエリート選手たちには天性のストライドが備わっているからであり、それをそのまま鵜呑みにしてはいけません。

日本の陸上界がこぞってピッチ走法を推奨するのは、金メダルを獲ることを目標にしているからです。金メダルをとるためには黒人選手に勝たなければなりませんが、ストライドで勝負しても黒人には勝てないために、ピッチで勝つ戦略をとるしかないからです。負ける戦略をとるわけにはいかないからです。

しかし私たち市民ランナーの目標は、黒人選手に勝つことではありません。「自己ベストを更新すること」すなわち「ベストバージョンの自分になること」自分なりの、最高の自分になることです。

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難易度は相対的。ものごとの価値は目線で変わって感じるもの。

難易度というものは相対的なものです。ものごとの価値というのは目線で変わって感じるものです。

サブスリーの難易度を人類の上位1パーセントぐらいだとわたしは見積もりました。「そこらへんの人100人がマラソンを走ったらトップでゴールできる人」ということです。

「100人がマラソンを走ったらトップでゴールできる人」と聞いたら凄い人だと思いませんか? 「すごいじゃん。そいつ。ちょっと名前覚えとこうか」ぐらいのインパクトはあるのではないでしょうか。小学校で学校(学年)で一番足の速かった子の名まえをあなたも覚えているのではないでしょうか。そのぐらいのレベルです。

でも「100人がマラソンを走ったらトップでゴールできる人」というのは裏を返せば「200人がマラソンを走ったら2位かもしれない人」という意味です。トップでゴールできるか、二位になるかは相手次第です。

上位1%というのは1万人走ったら100位です。三万五千人(東京マラソンの出走者数)走ったら350位だということです。350位の人をすごいと思いますか? ちょっと名前覚えとこうと思いますか? 思いませんよね。350位なんて箸にも棒にもかからないモブ(その他大勢)だと感じると思います。

これが視点の問題ということです。誰に目線を置くかでものごとは感じ方が変わります。

オリンピックアスリートの目線で見るか、走り始めたばかりの「わたし」目線で見るかで、ものごとの価値というのは目線で変わって感じるものなのです。

このページにたどり着いて、ここまで読み進めたあなたはきっと自分が走っているランナーだと思います。オリンピックアスリートの目線から見たらサブスリーなんて難しくも何ともありません。しかしただのマラソン愛好家の「わたし」目線で見た場合、サブスリーは難しいものに感じるかもしれません。

ものごとの価値というのは目線で変わって感じるものなのです。

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走法革命。再現性のある入力ワードで走法を効率化させる指導

私の場合、走ることも得意でしたが、言葉を使ってモノを表現することの方がもっと得意な人間でした。

おのれの肉体が教えてくれる走り方を、明日も明後日も再現するための「入力ワード」が走りながら、次から次へと頭の中に浮かんできます。

人間の運動は脳から筋肉に指令が出て実現しているので、昨日と同じ効率的な動きをするためには、昨日と同じ指令が脳ミソから発令される必要があります。

それを「入力ワード」といいます。「アトムのジェット走法」というのは走法ですが、脳ミソから筋骨格系への入力ワードでもあるのです。

私の紹介している言葉は、その「入力ワード」と具体的な再現方法です。

市民ランナーが速く走るために必要なのは「ストライド」です。そのためには鳥が翼を広げて飛ぶように、大腿骨を大きく動かすことが必要なのです。

大きく大腿骨を動かしながら、ゆっくり走ることはできません。「動的バランス走法」というものは「静的バランス」とは違い、スピードを出しながらでないと維持できないものなのです。

サッカーやラグビーの走りと陸上の走りは違います。

サッカー選手は横からチャージされるのが前提なので腰を落として大地を踏みしめて走ります。それに対して陸上選手は接触はないのが前提なので骨盤・腰椎をフワッと浮かせて走ります。

ヤジロベエ走法をラグビーでやったら横からタックルされてふっ飛ばされてしまいますが、そのかわり鈍足ラガーマンを振り切るほど速く走ることができるようになります。

骨盤・腰椎は浮かせた方が楽に、軽く走ることができるのです。

本気でサブスリーの関門を突破したかったら、私の入力ワードを勉強してみてください。

左右非対称の原則』も、『大地をクワで耕すようにフォアフット着地する』理論も、本気でサブスリーを追いかけなかったら生まれてこなかった走法、入力ワードです。

どんなに俊足のアスリートに教えを乞うても速く走れるようにならない人は山ほどいます。

それはアスリートの指導に再現性がないからです。コーチが入力ワードをもっていないからです。言葉で再現できなければ他人に伝えることはできません。

スパルタで練習ノルマを課して指導選手をしごきぬけば速く走らせることは可能ですが、市民ランナーに通用する手法ではありません。

そうではなくて走法の効率化で速く走れるようになるのです。とくに走法が未熟な市民ランナー相手であればあるほど、言葉による走法革命のやり方の方が効果的です。

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魂ほど強い武器はない

究極のフォームはひとつのはずなのに、なぜそれを表現する言葉がたくさんあるのでしょうか。

どのノウハウも、すべてが究極のフォームを指向しています。それでいて表現している内容は違うのです。

昨日は『カカト落としを効果的に決める走法』で調子よく走れたのに、今日はしっくりこない。

今日は『アトムのジェット走法』で調子が良かった。

日々、入力意識が変わるのはどうしてでしょうか? 長い間、ずっとそれが謎でした。

効率的な走法はいつも同じではなく、体調によって変わってきます。

部分を表現し、全体を表現していないことに私は気が付きました。全てが連動していて一部だけ見ていてもダメなのです。しかし全身運動は歯車が噛み合って回るようなもので、一部がうまく回れば全体がうまく回るようになることもまた事実です。

たったひとつの理想のフォームに関して、なぜたくさんの言葉が思い浮かぶのか?

走るという単純極まりない運動だというのに、どうしてこう次から次へと学べるのか? いくらでも発見できるのは何故なのか?

ひとつのノウハウで、なぜすべてがうまく回るのか?

逆に、どうして常に通用するような、たった一つの箴言、究極の言葉がないのか?

それもまた謎でした。

なぜ昨日うまくいったことが、今日はうまくいかないのでしょうか。

究極のフォームを求めて私はあがきました。

「筋肉が使えているなあ」と感じる場合は、必要のない負荷がその場所にかかっている可能性があります。筋肉に負荷がかかっているときは悪いフォームである場合があるのです。

なにも筋トレしながら本番レースを走ることはないんだから、「楽に、軽く」走れたという結果さえあればそれが目指すフォームそのものだとそこから悟りました。そのためには骨を意識するのが先で、筋肉が動いているかのセルフチェックは後回しでいいと知ります。いいフォームは骨格でつくるのです。

骨格走法です。

「骨格走法」筋肉ではなく骨で走る。疲労しない走り方
骨格走法は、筋肉のサポートを極小化して意識の外に追いやる走法です。筋肉が動いているか、をチェックしながら走るのではなく、骨格がいいフォームになっているかチェックしながら走ってみてください。それが骨格走法です。

骨格系サブスリーフォームの追求の中で、腰の筋肉を緩めて上半身を腰椎の一点で支えフワッと浮かせた「ヤジロベエ走法」が生まれました。

走りの技術。ヤジロベエ走法。腰椎の一点で上半身のバランスをとる走法
ストライド走法とピッチ走法、どちらが正解か? どちらの走法を使うべきなのか? 「永遠のテーマ」「答えのない永遠の問い」のように語られるこの二つの走法の優劣ですが、私にはもう答えが出ています。どっちも使え。これが正解です。
最速のストライド走法フォームの作り方。後ろに蹴るのではなく、前に突き出してストライドを稼ぐ
ストライドは開脚して伸ばすのではなく、宙に浮かんで伸ばします。なぜ「ハサミは両方に開かれる・ヤジロベエ走法」が、速く走れるのかというと、前傾姿勢の「動的バランス走法」よりも、ストライドが伸びるからです。 骨盤・腰椎を立てれば膝が高く上がります。そして落下するあいだもストライドを稼ぐことができるのです。

その一方で、所詮は世界一速く走れるわけじゃないんだから、本質的に大切なのは「この私」が走って楽しいかどうかだという境地に達します。『理屈じゃなくダイナミズムを大切にしよう』という言葉が生まれてきました。ランニング実存主義です。

脱力も技術のうち』とか『ピーキング理論』『ダイエット理論』も本気で必死でサブスリーを追いかける中から生まれてきたサブスリー理論の中のひとつです。

昨日はこの走法が効いたのに、今日はどうにも効いてこない。

別の意識(入力ワード)にしたら調子よく走れた。そんなことを何度も何度も繰り返しているうちにたどり着いた境地が「ひとつのフォームにこだわるのこそ間違いだ、複数のフォームを持とう」ということでした。

「ひとつのフォーム、ひとつのノウハウに固執するのはやめよう」と、ある日、私は気づきました。

究極のフォームにこだわり続ける方がマイナスなのだと気づいたのです。

究極のフォームに忠実であろうとするあまりに、無理やり疲れた筋肉を使ってまで究極のフォームの維持に力を剥けることは無駄なことです。

目標は究極のフォームを維持することではなく、速く走ることなのですから。

ひとつのフォームに固執することは、タイム短縮にとってマイナスでしかありません。

そしてとうとうたどり着いた私のオリジナル理論が、

マラソンの極意・理想のフォームを追求するのではなく複数のフォームを使い回す

ということでした。

膝をたたむことも、ハサミは両方に開かれることも、やじろべえのようなイメージでバランスをとって走ることも、膝を突き出すことも、フォアフットで着地することも……全てが連動している回転運動のサイクルだから、一か所に弾みがつくと、その勢いですべてが勢いよく回りはじめるのです。

ひとつ回ると、すべてが回ります。

たとえば「フォアフット着地をしよう」と心掛けるだけで、おのずと前に振りあげた脚が宙を掻き戻されてきます。結果として「踵落としを効果的に決める走法」が達成されて、その勢いで「アトムのジェット走法」も達成できます。やはり動きは連動しているということです。ひとつが勢いよく回れば、他も勢いがついて回っていくのです。

ノウハウ・言葉にこだわるな、ということです。

「考えるな。感じろ」です。いいフォームは頭で考えるのではなく、自分の肉体に教えてもらうのです。

究極の走り方。あなたが一番速く走れる走り方は、あなたの肉体が一番よく知っている。

【究極の走り方】あなたの走り方は、あなたの肉体に聴け
あなたよりも、あなたの肉体のほうが、走るということをよく知っています。あなたの最適なフォームを知っているのは脳味噌ではなく肉体です。からだが要求することを素直に聞いてあげましょう。心臓ひとつ、あなたは自分の意志で動かせないではありませんか。

ノウハウとは月を指さす指先のようなものです。 指先ばかり見ていると、月が見えなくなります。大切なものを見失ってしまうのです。

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遊びだからこそ、夢中でやらなければ面白くない。マラソンは一生懸命、全力でやってはじめて面白いスポーツ

地球一周四万キロ以上の距離を走り続けた中で、走ることと、考えることは、とても相性がいいことに気づきました。

私は世界を駆ける力を手に入れようとしていたのかもしれません。

だからこそサブスリーを達成した時には爆発するような喜びがありました。

納得すること、達成感を得ること、そういったことが大切だったのだと思います。

遊びだからこそ必死にやらなければ面白くありません。

マラソンは練習しないでちんたら走ってもちっとも面白くないと私は思っています。できる限りの練習を積み自分を磨き上げ、ゴールしたら倒れるぐらいのつもりで必死に走ってはじめて面白いスポーツなのではないでしょうか?

本ブログのタイトルにもなっているゲーム『ドラゴンクエスト』も、ラスボスを倒したあの達成感に夢中になったのです。

この原稿で私ハルトは自分のノウハウのすべてを公開しています。ひとりの男が必死の取り組みの中から掴んだノウハウ、西天取経(さいてんしゅけい)の旅先で得たお経のような言葉を公開しています。

血の通った言葉、これらのノウハウにインスパイアされて、みなさんには是非ともサブスリーを達成していただきたいと思っています。

ゲームの関門は、突破するためにあるのです。熱中すること。それが生きがいです。

やった。成し遂げた。今はそんな実感が残っています。

3時間を切れると切れないとでは全然違います。

たとえば私がサブスリーランナーでなかったら、いくら雑誌『ランナーズ』でマラソン2時間30分を切った超人たちを数々取材した物書きだからといっても、このような『養成講座』のようなものは、開講することはなかったでしょう。

自分の言葉とそうでない言葉では、ぬくもりが違います。

魂がこもっているかどうか。しょせん、魂がこもっていないものでは、何も伝わりません。

難しいからこそ、挑戦しがいがあります。

難しいからこそ、教えてあげたくなります。

難しいからこそ、私ハルトのサブスリー養成講座のレーゾンデートル(存在意義)があるのです。

みなさんも、若さと力の限り、このやりがいのある関門突破ゲームに挑戦してみてください。きっとあなたの人生に何かかけがえのないものをもたらしてくれます。

※このブログの筆者の書籍です。Amazon、楽天koboで発売中。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
https://amzn.to/3CaR81P
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
https://amzn.to/47hnbeF
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戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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マラソン・ランニング
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