高橋尚子『夢は叶う』封印された名言
勝ったアスリートの言葉は、よく耳にすると思います。
シドニーオリンピック金メダリストの高橋尚子選手は「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」と言いました。レースに勝った後だったと思います。
『夢はかなう』という本も執筆されています。
でも東京国際女子マラソンで負けた時には、黙っていましたね。
たぶん勝った時には何かまた名言を言おうと考えていたと思うけれど、その後、彼女は勝てず、幻の迷言は発言されないまま封印されてしまいました。
封印されたということは「頑張れば、夢は叶う」的な言葉だったのでしょう。でも負けたから言えなかったのです。頑張れば夢は叶うと発言することは、勝った人にしか言えないことです。勝つためのレースに負けたということは、私は努力しませんでした、といっているのと同じことだからです。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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頑張り抜いたけれども勝てなかったアスリートの言葉を聞くことには大きな意味がある
勝ったアスリートの言葉はよく聞きます。インタビューされるし、マスコミに取り上げらえるからです。
でも負けたアスリートの言葉を聞くことはあまりありません。「今日は調子が悪かった」そんなことは聞きたくもないし興味もありません。でも本当は、頑張り抜いたけれども勝てなかったアスリートの言葉を聞くことには大きな意味があります。
なぜなら、すべての人の人生は、最後は負けで終わるからです。その負けと死を若いうちに肌でヒリヒリと感じているのがアスリートです。
最後までオリンピックで金メダルを獲ることがなかったアスリート、彼がそれを目指していたとすれば最後まで勝てなかった人、為末大さんの言葉を聞いてみましょう。
赤字は『走りながら考える』という為末大さんの本からの引用です。仮説状態でも動いて動きながら修正していくという為末大の生きる哲学が本のタイトルになっています。
気になった方はぜひ全文を読んでいただきたいと思います。引用したのは私が引っかかった言葉です。あなたが引っかかる言葉はきっと別でしょうから。
ちなみに赤字で引用するだけでは引用だけの薄っぺらい記事になってしまうので、私のこれまでの記事、主に書籍『市民ランナーという走り方』から似たような内容のものを引用しています。
為末さんは短距離、私は長距離、為末さんはオリンピアン、私は市民ランナー。全然違いますが、考えていること、感じていることは非常に近いものがあります。それを「面白いね」と感じてもらえれば、この記事は成功といえるでしょう。
為末大。夢が叶わなかった男の言葉
勝ってきたというよりも、必死で生き抜いてきたという感じ。
やってもできないこともある。叶わぬ夢もある。
自分の負けと直面し続ける精神。下り際のむなしさ。
限界があるからこそ、今日という瞬間を駆け抜けることができた。
何かが終わるということは、何かが始まるということ。
失敗をすべてではなく一部ととらえる。
自分の全力を出し切っておくこと、そのことが後悔を整理することや、ものごとをきっぱり終わらせるためにすごく重要な気がしている。
どうしたら胸を張れなくなるのか? レースを途中で止めること、ほどほどに生きることだった。
勝利そのものは自信にならない。あのとき転んだけれどまた立ち上がったじゃないか。あのとき自分は逃げなかったじゃないかという方が明らかに自信につながる。失敗したけれど、もう一度飛ぼうと思った。その決意した瞬間が、その後にとても大きな影響を与える。
できるという確証はないけれど、よしやるんだと意志を持って選択する瞬間が大事だと思う。
目指す目標が高い人ほど、ほとんどの努力は無に帰する。
挑んで負けてまた立ち上がる。立ち上がった瞬間、自己肯定感が磨かれる。
やり切ったと思うことを積み重ねれていくと、人生における後悔はだいぶ少なくなっていく。
自分で何でもやってみることに尽きる。とりあえず当たりをつけて動いていく。仮説状態で動く。走りながら考える。
正解はない。後から振り返って自分がつけた意味に過ぎない。成功よし、失敗なおよし。
「Amazonを創設しない人生」を生きている。今はこっちを選ばないと知りながら生きている。この人生を生きているということは、これじゃない人生は切っているということ。
なりふり構わない自分。どうでもいいこだわりをいかに減らせるか。
人にがっかりされることへの恐れ。人からガッカリされるという恐れのハードル。
世の中のほとんどの愛や好みは「条件つき」で構成されている。相手に好かれたいと思えば思うほど、その条件を満たすのに必死になる。
自分を許すとは相手に期待しないこと。他人への期待をやめるとはつまり相手が相手のままでいるのを認めることになる。
「やればできる」は幻。夢がかなっていない人は全身頑張っていないか、頑張りが足りないということになってしまう。
やればできる、は結果責任が個人の努力に向かいやすい。本音で夢を語ることを嫌がるようになる。「お前の努力不足なんだよ」という批判が飛んでくるのを知っているからだ。
力を尽くしてやるだけやったら、あとは自分のせいじゃないと思うぐらいがちょうどいい。
アスリートも、後年、負けを知り、どうにもならないことを知るのは、人生のバランスであり、とても意味があるように思う。流されて生きれば何も達成できないまま人生は終わる。人生とは極言すれば誰もが皆、同じようなものではないだろうか。
目指すゴールに到達するにはあまりにも時間がないことに気がついた。若者が完璧を信じ、完璧を追い求めるのは、人生はまだまだ先が長いと思えるからだ。
人生は時間との勝負。いつか終わる時間との勝負。考え方によっては全部が途中である。志半ばで終わらせなければいけない。そのへんのやるせなさをアスリートはひとあし先に経験している。
こんなものでしかない自分をちゃんと認めて、それでも前を向き続ける人。
自分を最大限生かすには、どこへ行けばいいのだろうか。限界を感じての撤退だったし、そこには敗北感や失望感などいろいろなものがセットになっていた。
何をあきらめて何をあきらめないかという選択にかかってくる。この会社は諦めるけれど、この仕事をすることは諦めない。諦めたものが多い方が、ひとつのことに集中投下できる。それゆえ成功しやすい。
自分の中でのファーストプライオリティを問い続けること。有限の概念がないところに選択はなく、選択がないところに集中もない。
大きな何かに向かって生きている限り、挫折のない人生なんてほとんどない。
努力と挫折はセット。小さいところで戦っていたら挫折はない。挫折経験がある人がやさしく見えるのは、自分が弱いことを知っているから。相手の弱さに対してまったく他人事ではいられなくなる。
一位以外は全員敗者だし、一番とはしょせん瞬間的な事象にすぎない。残念ながらほとんどの人生は負けで終わる。
いつかこうなりたいと思っていたけれど、どうもこの人生ではなれそうもない。人生は、その穏やかな挫折を受け入れることであり、最後は負けで終わる。でも負けが悪いわけではない。単なる結果であって、その過程を評価するものではないからだ。負けと幸福感は別である。
スピードを出すには足首は固定されている方がいい。
勝負は徹底した長所と長所のぶつかり合いだ。欠点は長所の副作用かもしれない。全体のバランスで見始めると、欠点は欠点だけで存在しているのではなく、長所とセットになっていることがほとんどだった。
アンバランスなところで保たれるバランスというものもある。
人間は本来「かたより」があって、でこぼこしていて、それが魅力になったり、個性になったりする。
「どうやっても駄目だったよね」と自分の負けと直面し続ける精神。ダメなものはダメだったよね、という清々しさがある。自分自身を思いを残すことなく卒業させてあげるために大いに意味がある。
「夢がかなわない現実」をどう生きていくか。たったひとつのきれいごとが人生の価値観をつくる。
できなくてもやる。自分の中の気持ちを奮い立たせるのは知恵しかない。
何かを乗り越えようと挑むことこそが大事なのだ。信じていられたその毎日こそが、自分への報酬だったのだ。
幸福は今にしかない。夢はその今を輝かせるためにあると思う。そしてその輝き自体は、その夢がかなう、かなわないなんて関係がない。夢は持った方がいい。たぶんかなわないけれど。
レベルが上がれば上がるほど、目標が高ければ高いほど、人は一人になっていく。
人間のコンプレックスは、自分が属す社会の基準に沿っている。
ハードルを選んだのは、自分が活躍できそうだったから、勝てそうだったから。
一番になるではなく、一番を目指して全力で生きていく。チャレンジしてダメだったこともひっくるめて、ドラマティックな時間を楽しんだな、と思えるといい。
無我夢中、リラックスした集中、でやっている人にはどうしたって勝てない。無我夢中になれるところで勝負することは、成功の最初のステップ。無我夢中を目指すことが、一番を目指すことそのもの。一番を目指している、そのこと自体が幸せなのだ。毎日、夢を求め、目を輝かせて生きている。みなさんの努力はすでに報われているのではないですか。
勝ちには負けがつきものである。ゲームをやっていること自体が楽しければ、再び負けたとしても、友だちにまたやろうというだろう。
頂上だと思った場所は、次の山の入り口に過ぎなかった。生きていることと同じで、現役でいる限りずっと道中である。
それが手に入る、入らないは関係なく、目指している状態が幸せなんじゃないかと思う。結果のために努力する人は、恨みやフラストレーションを抱えて生きる。一番を目指すのは人生を楽しくするため。プロセス自体によろこびを見出す。一番を目指していないと、むしろその道中がつまらないという感じ。ゴールに何を設定するかで道中の意味が変わってしまう。
あれ? もしかしたらこんな状態で終わってしまうのか? これじゃ勝ち逃げできないじゃないか。そもそも勝てないかもしれないぞ。
結果に依存しすぎていると、人生なんてほとんど意味がなくなってしまう。どんな人でも勝ち続けるのは難しく、最後は脳も筋肉も動かなくなって終わるのだから。
どこでもドア、で山頂に着いたら、目標達成の意義が半分以上抜け落ちてしまう。
人間はどのみち死ぬけれど、生きていること自体に意味がある。山頂に旗を立てられそうにないとわかると、だったら山に登る意味がないとなってしまう。何もない日々のむなしさを思うと、何かがある日々、向かうもののある毎日がいかに恵まれているか。
結果とは関係なくプロセスの中にいかに喜びを見出すかは大きな知恵。
結果ありきでは何もできないだろう。研究開発はほとんどが失敗だったりする。だが実験を繰り返すことなく、新発見などできるわけがない。
これをやり遂げよう、何かに挑もう、というコミットメントがなければ、人生には困難も問題も失敗も負けもない。平凡で平和な日々は約束される。結果を欲して挑んだからプロセスがはじめて見えてくる。
スポーツの効能は目標設定のセンス。人には可能性があり、そして限界がある。耐えられる範囲で耐えたから成功した。心身相関の原則、自分の崩れ際がわかる。感覚でしか表現できない。
「それって本当に悪い状況なのかな」「逆に考えるとチャンスなんじゃないの?」
ピーキングとは反応の調整。ベストな反応ができるようにもっていく。
イメージとしてちゃんと描けたものは、かなりの確率で実現できる。人が言うことよりも、自分が感じているこの感触の方が正しいんじゃないかと感じていた。
リアリティがあるイメージがわかると、どの方向には成功があって、どの方向には成功がないのか、感覚としてある程度つかめる。
目標がどんなに困難に見えても、すべては自分から始まっている。
「あっという間だなあ」人は皆、老いる。若く健全な頃の理論や感覚が徐々に成り立たなくなるということ。だったら今日という日を一生懸命に生きることしかない。
日々を一生懸命に生きていると、終わりが近づくほど妙な清々しさが出てくる。
挑戦は常に失敗も込み。下っていく中で、若手に負けながら、それでも走るということは、自分にとってとても大きかった。
引退、つまり競技人生の終わりは、競技者としての死を意味していて、その人生の期日を設定すると、時間には限りがあるのだということが急に現実となって押し寄せてきた。目の前の景色が変わって見えた。無駄なことに時間は裂けない。リターンの少ない基礎よりも、リターンの大きい実戦という配分という概念が出てきた。
引退という者があるアスリートは、普通の人が送る人生を前倒しにして体験している気がする。まさに仮の人生をひとつ生きたみたいな感覚。そのときにできる精いっぱい、最高を模索する。残された時間の使い方も変わってくる。
死はひどく残酷で、期限がきたら容赦なく強制終了。やりのこしたことはおそらくたくさんあったと思う。
僕は今日も走っているじゃないか。いつかこの感覚がなくなる。大切なのは「いつか」の先になるのではなく、今にあるのだ。
コンプレックスはしょせん人との比較の中から生まれる。無人島に流されたら、顔がいいのかわるいのか、モテるとかモテないとか、お金の価値すら存在しない。
ネガティブなエネルギーをモチベーションにしているアスリートは、なぜだか揃って急に息が切れる。
余命半年だったら、これまでの人生でやり残したことを「やりきり」にいく。伝えたくても伝えていなかったことを言いに行ったり、人からは平坦に見えてもそのデコボコは自分が見ればすぐにわかる。
ちゃんと終わらせてあげたい。終了ではなく完了。フィニッシュではなくコンプリート。
人生はやり直しがきかなくて一発勝負。自分はちゃんとやり切ったが一生ものの自信になる。
結果が残せないからと挑まずにいたら、何も生み出せない。
全速力で走って転んで、自分のすべてを出し切り、選手として本当にもうダメなことがわかったのだ。
いい思い出というのは、必ずしも素晴らしい結果ばかりではないはずだ。
ちゃんとやれたな、と思う経験を積み重ねていくこと。結果うんぬんではなく、むしろ最善を尽くしたのだという履歴を残していくこと。
大人になることと、自分の中の子供の部分を殺すことは違う。モチベーションや直観力、ワクワクする気持ちや、幸福感の源である「子どもの部分」その子が傷つき、何も語らなくなり、自分が何をやりたいのか、本当はどう感じているのかわからなくなっていないか。
努力は夢中に勝てず、義務は無邪気に勝てない。自分のやる気が出る場所、モチベーションが上がる場所。
それは自分らしいか。人間は本来自分が持つ方向にしか成長しない。特に勝負ことになると、本来の自分の方向に突き抜けたヤツだけが強い。
ある感情を抱いても、背景にあるものを説明できなければ、周りから共感が得られない。なぜ嫌いなのか説明できなければ、それはあなたの感情の話しだね、こちらには関係ない、で済まされてしまう。
何かを選択するときに、それが英断なのか、逃げなのかは当事者にはわからない。
一人でも多くの方がハードルを越えられますように。
コーチ理論と引退哲学。ズルズルと負け続けると負のマインドセットになって自分のノウハウに自信を失い、よい指導者になれない。
本は電子書籍がおすすめです
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
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●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
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●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
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あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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本を読んで何かを考えた「あなた」。人生には『仕事を辞める』という選択肢があります。
これからもたくさんの良質な本に出会いたいという「あなた」。本は場所をとらない電子書籍がおすすめです。
kindle unlimitedは、電子書籍kindleキンドルを利用した和書12万冊、洋書120万冊以上の読み放題サービスです。
kindleの使い方
アマゾンプライムの使い方・入会方法
オーディブルの使い方
私はオーディオブックは究極の文章上達術だと思っています。